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2014年 09月 20日
がま口は名称からして和のもの日本のものと思われがちですが、明治時代にヨーロッパから日本に伝わったものです。 歴史的な詳細なことまで書いていると長くなるので、かなり略したものですががま口のことを。 がま口はヨーロッパで 紳士婦人を問わず大流行していたものを日本の商人が持ち帰ったのが始まりでした。 紳士は牛革の鞄や財布を貴婦人方はビーズきらめく美しいバックを手にして舞踏会、のがま口。 その大流行していたヨーロッパのがま口が、なぜ日本人に好まれ使うようになったのか。 最初は西洋風の鞄財布を模倣していましたが、それまでの財布は布の懐中型の信玄袋。 好況で通貨が小型になつたこともあってそれにあった財布として、がま口が生まれました。 名前の由来はガマガエルのように大きく開く口、ガマは金運を呼ぶとも言われ日本人に好まれ大流行。 着物から洋服に代わり婦人服にがま口金つきのバックも流行りますが、その後ファスナーや合皮の普及やファツションの流れとともに衰退したりで今日に至っています。 パッチンのがま口はこどもの頃おばちゃんが使っていたもの、だったのに10年以上前京都に若い女性ときたときぜひ行きたいと行った先はがま口専門店。 大小のがま口がずらりと並んだ中から、唐草模様の小さながま口とストライプの大きながま口バックを嬉々として買っていました。 意外だったので驚きましたが、それ以降というかここ数年手作りがま口も人気です。 実際作ってみると思い出の小さな古裂や布・端皮で作れそれに合わせた根付けも楽しくパッチンの音も軽快なり。 がま口の良さ、なぜがま口が愛されるかはNHKの番組『美の壺』でも。 #
by o-hikidashi
| 2014-09-20 23:01
| Ns倶楽部
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2014年 09月 15日
せっせとがま口作りに没頭しておりましたら、携帯電話が鳴る。
「ボーリングに一名足りないやけど、うららさん来てくれへん?」 「いやあーボーリングなんてずっとやってへんし、いま期限迫ってるの作ってるとこやしぃ・・・」 結局参加、運動不足気味だし下手でも投げてみたいなあとちらりと思いました。 決めの言葉は、ワタシ世代の人も数人いるとのことで参加に。 同世代なら、テクは負けても体力には自信あり。 ひさびさのボーリング、散々だったけど楽しいひとときでした。 ジムに通い黙々との運動は苦手だけど、点数の出るボーリングは性格に合うのかも。 はは、ストライクもあれば(もちろんまぐれで一回だけ)ガーターもありの波乱の投球は、十〇人中十〇番目。 全員景品付きでびりから三番目、なのにデッキチェアいただきました。 サンポートの海岸に行けば、シニアが腰掛け日暮れの海を眺めて黄昏てるそう。 けど、まだ黄昏ている暇はない!! 車に積んでおいて、景色にいいところで腰掛けようっと。 そして、翌日もめちゃ嬉しいただきもの。 えーと、松茸ごはんに松茸のお吸い物に・・・、そうだ、押し花さんちに行こうっと。 #
by o-hikidashi
| 2014-09-15 22:24
| 出
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2014年 09月 14日
刺し子を、と初めて25年(若い頃にも布巾や暖簾は刺した)那須の小川先生と出会って20年以上かな。
専業主婦の頃は親子の服を縫ったりパッチワーク、なかでもモラ手芸に夢中だった。 下に重ねた布を切り開き出てくる色が面白く、先生から渡される図案や配色にワクワクした。 生地の仕事をはじめずっと憧れていたジャワに旅した。 父が母に買ってきたシルクのジャワ更紗は見事なもので、いつかジャワに旅したいと願っていたので。 それからその地の布や手仕事をみるためにせっせと貯金し、そっと旅に出た。 布や手仕事をみているうちに、日本ならではの私ならではのものと考え「おばあちゃんになっても針を持って楽しめる日本の手仕事」に刺し子を選び岡山、東京、そして那須の先生に巡り合えた。 「一番古い弟子で一番刺さないうららちゃん」、と紹介される。 仕事の合間徹夜して刺した情熱の時期もあったけど、いまは小物に。 一目刺しなら大好きで、とくに縫った糸をすくうもの。 がま口本体の一目刺しは楽しくて直ぐ刺し終えたけど、根付けに鈴を入れ梅花珠結びのひもが8ミリ幅とあるのに毛糸を入れひっくり返すとシャキッとしない。 手前が見本、横一ミリ縫い直し今日中に作らないと、久々の激が飛ぶ? と思いつつ、届いた冊子で紹介されていた映画『リスボンに誘われて』 「みたいー!」、とすぐ調べたら四国九州は上映映画館なし、本を買ってきて読む時間はもっとナシ・・・ #
by o-hikidashi
| 2014-09-14 06:41
| Ns倶楽部
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2014年 09月 12日
丹波口から車で三条に戻り車を置いて、マロンさんとワクワク出かけました。
鴨川からの渡る風も心地よく、川端を散歩がてら向かった先はエカキさまの作品展です。 川端二条大橋のすぐ近く、と広い道のすぐ裏に入ると『ブックカフェ&ギャラリーユニテ』 奥まった扉をそっと開き、まずは珈琲を。 宇治のお茶を使った抹茶チーズケーキ、コクがあって美味しいです。 丁寧に点ててくれたエチオピア・モカも。 正面奥の坪庭。 木漏れ日が風にゆらゆらと動き、眺めていて飽きません。 横には「あ、読んでみたい」と思う本が高く積まれています。 その横のコーナーはエカキさまの世界。 写真を撮るのは失礼かなと、しっかり観賞しました。 マロンさんと二人がいいなあと思った”木馬”、そしてワタシがいいなと思った葡萄の絵は売約済み。 マロンさんはパンの絵がお気に入りで、近づいたり離れたり。 ビンテージの素敵な器も並び意外な安さ。 紅いガラスの器、豆皿の図柄も可愛く迷ったのですが、これから徒歩で寺町に出る用事あり・・・でそそっかしいワタシゆえ割れてはと諦めました。 京都近郊ならぜひお出かけを、残念ながら遠くての方はNabeさんのブログでぜひぜひご覧ください。 すぐお隣は『加藤順漬物店』 これも荷物になるからと諦め。 道路の向こうには最近お気に入りの『よこちょう』 太田和彦氏お勧めの一店で、その先の川端沿いには『赤垣屋』 この辺り夜しか来なかったけど、これからの散歩コースにいいなあ。 カフェユニテから川端に戻った角は京都でも1、2の人気お好み焼き店『夢屋』 お好み焼きの好きな母とよく通ったお店です。 川を挟んで対岸に見える横長な建物は以前はホテルフジタ京都、の跡に建つ今年二月開業の『リッツカールトン京都』 では、橋を渡って寺町に・・・。 #
by o-hikidashi
| 2014-09-12 23:51
| 京都
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2014年 09月 12日
7月に新聞で『京の夏の旅 文化財特別公開 2014 7月~9月』のキャンペーンを知りました。
“近世のもてなし文化、賓客を迎える日本建築の美”をテーマに「角屋(すみや)」が特別公開、古い建物をみるのが好きゆえ京都に用事で行った際行ってみました。 遊郭、花街、花魁、太夫など時代劇とかで知る遊女のいるところで江戸が吉原京が島原という程度のワタシ。 島原も吉原もごっちゃでしたが、今回少しわかったことを。 ・吉原は遊女のいる歓楽専門の「遊郭」で、島原は俳壇歌壇が存在し歌舞練場もあり「花街(かがい)」となる ・吉原の花魁は娼妓部門の最高位で島原の太夫は芸妓部門の最高位であり、堀に囲まれ閉鎖的であった吉原に対して島原は開放的で老若男女の誰でも出入りができる ・島原には揚屋置屋があり、揚屋は芸妓や太夫を抱えず置屋から派遣してもらいお客様に遊宴してもらう文化サロン的 著名人が実母を「親孝行」として揚屋で遊ばせた例もあり幕末には新選組も出入りしている 特別公開の揚屋の『角屋』は、江戸のおもてなし文化の場である楊屋建築の唯一の遺構として、国の重要文化財に指定されています。 場所は京七口(きょうななくち)という京につながる街道の出入口のひとつ”丹波口”(JR丹波口駅)近くにありました。 島原の正門の”大門”は一間幅、本瓦葺き、切妻の高麗門。 門内の通り左右に格子造りの古い揚屋置屋が整然と並んでいたそう。 門前の「出口の柳」「さらば垣」を写し、さて車をどこにおけばと思案していたら狭い門より車が出てきてびっくり。 通りかかった人に尋ねると通行できるそうで、奥の先右に駐車場はあるとか。 揚屋置屋が並んでいたという、門内の通り。 近代的な温泉や旅館もあります。 奥の角の広く長い塀が、揚屋『角屋(すみや)』 この入口は従業員用ですが、入り口脇に二本ある大木は槐(えんじゅ) どんな木と調べると、「マメ科の木で別名黄藤、排気ガスに強く伸びすぎないので街路樹にむく、花が散ったあとは真っ白(真っ黄色)になる」 いつだったか二条寺町を歩いていて落ちてる花に見上げ白い花をつけた不思議な木はこれだったんだ 染めの暖簾、中戸口脇の石の用水に刻まれたもの、台所の衝立にも彫られていた角屋の家紋 ”蔓三蔦(つるみつつた)”でした お、歴史が身近に などと刀傷を横目に奥に進むと広い台所 見上げれば広い台所の天井は煤で黒光り 入り口横日陰には深く穴を掘った貯冷庫も 土間で靴を脱ぎ、続きの部屋に 坪庭手前の箱階段からの二階はキャンペーン終了後有料で公開されるそう 横は刀を預かり仕舞っておく刀のクローゼットのような刀箪笥 坪庭を眺めながら進むと28畳の広間があり、天井板が網代に組まれているので”網代の間” ここから先ほどの坪庭を眺めることもできる よく拭きこまれた黒光りの廊下の先には大広間 主庭を臨んだ大広間”松の間”は43畳 そこで10~20分おきに無料解説あり 庭の臥龍松(京都市指定名勝)の先には茶室が三つあるそう 大座敷に面して広庭とお茶席があることが揚屋の条件 「茶室の一つは三角形で底辺が手前になり襖もありません、太夫がそこでお点前をするのを客人は見て待ちます」 などの説明を聞きながら・・・ふーむと当時の島原を思う・・・ 島原の 角屋の塵はなつかしや 元禄の塵 享保の塵 吉井勇 #
by o-hikidashi
| 2014-09-12 22:07
| 旅
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